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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和62年(う)32号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある交通事件原票一通の偽造部分を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官阿部貫一郎提出の控訴趣意書(検察官中尾幸一名義)に、これに対する答弁は弁護人江藤利彦が提出した答弁書及び答弁書補足書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は要するに、本件交通事件原票は、その文書としての性質上、本名以外の名義で署名すれば、私文書偽造罪が成立するというべきところ、原判決が、架空人名義の文書であっても、人格の同一性を偽る目的がなく、客観的にも人格の同一性に齬齟を生じさせるおそれがない場合には、私文書偽造罪は成立しないと解釈して、公訴事実第二の事実につき刑法一五九条一項、一六一条一項を適用しなかったのは、同法条の解釈・適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、仮に、原判決の右解釈が正しいとしても、被告人が本件交通事件原票に野村進という名で署名するにあたっては、同事件との関係で自己の名を偽る意図があったのであり、かつ、右野村進という名称は極く限られた狭い範囲でのみ用いられていた通称名であって、被告人を表す名として一般に通用していたものではなかったのであるから、客観的にも人格の同一性について齟齬を生じさせるおそれがあったにもかかわらず、原判決がこれをいずれも消極に認定したのは、前提となる事実を誤認し、その結果、刑法一五九条一項、一六一条一項の適用を誤ったものであり、これらの誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこで検討するに、本件の交通事件原票中の供述書部分はそこに記載された違反事実を自認するものであって、自己の違反事実の有無等当該違反者本人に専属する事実に関するものであり、専ら当該違反者本人に対する道路交通法違反事件の処理という公の手続のために用いられるものであって、このような文書の性質上、違反者が他人名義でこれを作成することはもとより許されないものであるうえ、原審において取り調べられた関係各証拠及び当審における事実取調べの結果によれば、以下の事実を認めることができ、これを動かすに足りる証拠はない。

1  被告人は、鹿児島県鹿屋市高隈町で生まれ、昭和三二年以来、鹿児島県薩摩郡宮之城町において「安楽紙器店」の屋号で紙器製造販売業を営んでいたが、昭和六〇年二月に多額の負債を抱えて倒産し、債権者の追及を恐れ、一時は名古屋へ逃れたがその後鹿児島県内に戻り、昭和六〇年一〇月二二日から姶良郡牧園町所在の霧島国際ホテルにパートタイマーとして働くようになった。

2  被告人の戸籍上記載された氏名は「安樂貞幸」、生年月日は「昭和一三年一〇月二八日」、本籍は「鹿児島県鹿屋市上高隈町二九三七番地」であるが、右ホテルに勤めるときには、債権者に知られないようにと、氏名を架空の名である「野村進」と名乗り、生年月日を「昭和一三年一〇月一〇日」としていたうえ、昭和六一年一月一〇日には「野村進」の名義で温泉給湯契約を締結していたほか同月一七日、鹿児島銀行国分支店に同名義の総合口座通帳を設け、借金の返済、貸金の振込、電気料金の支払、電柱用借地料の受領などに利用していた。

3  昭和六一年三月二二日、原判示の場所において無免許運転で検挙された際に、はじめは免許証不携帯であるとしてその場を逃れようとしたが果たせず、警察官の質問に対し、氏名を「野村進」、生年月日を「昭和一三年一〇月一〇日」、本籍地を「鹿屋市上高隈町三四二八番地」とそれぞれ申し立て、さらに警察官が運転免許照会の結果をもとに追及すると無免許であることを認め、交通事件原票中の供述書氏名欄に「野村進」と署名した。なお、このとき現住所として勤務先である前記のホテルの住所を告げている。

4  被告人が本件犯行において使用していた自動車は、昭和六一年三月中旬頃購入したものであるが、その際には「山下進」と名乗り、被告人が住居としていた建物(安樂貞幸名義)の電力会社に対する配電申込は「ノムラミノル」でしており、本件後前記ホテルを辞めて霧島観光ホテルに転職したがその際には本名を使用している。

これらの諸事実を前提として考察するに、被告人の用いた「野村進」なる氏名は本件の約五カ月前から人的にも場所的にも極めて限られた範囲において被告人を指称するものとして通用していたにすぎないものであって、人格の同一性に齟齬を生じさせるおそれがあったということができる。更に、被告人は警察の取調べを通じて自己の存在が債権者に知られることを避けるためといって、本名を秘し、当時勤務先などで使用していた氏名を名乗り、署名をしたものであるが、その際、戸籍の記載とは異なる本籍、生年月日を申告していることを合わせ考えると、客観的に被告人が自己以外の者を表示する氏名を用いたといわざるを得ず、被告人に私文書偽造の犯意及びその行使の目的があったと認められる。従って、原判決が、公訴事実第二につき、被告人には人格の同一性を偽る目的はなくかつ人格の同一性について齟齬を生じさせる虞れもなかったので被告人の所為は私文書偽造、同行使罪にあたらないとしたのは明らかに前提事実を誤認した結果刑法一五九条一項、一六一条一項の各適用を誤ったものといわざるを得ない。論旨は理由がある。

そこで刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を全部破棄し、同法四〇〇条但書を適用して、更に、被告事件について、次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  公安委員会の運転免許を受けないで、昭和六一年三月二二日午後一〇時二〇分ころ、鹿児島県姶良郡牧園町高千穂三、八六四番地付近道路において、軽四輪乗用自動車を運転し

第二  同日午後一〇時三五分ころ、前同所において、鹿児島県警察本部交通機動隊司法巡査寺前寿一郎から前記道路交通法違反事件について取調べを受けた際、自己の氏名を野村進と名乗り右巡査が道路交通法違反事件原票を作成するにあたり、同原票中の道路交通法違反現認報告書のとおり違反したことは相違ない旨記載のある供述書氏名欄に、行使の目的をもって、ほしいままに、野村進と冒書し、もって他人の署名を使用して事実証明に関する文書一通を偽造し、これを同所で前記寺前巡査に対し、あたかも真正に成立したもののように装い、提出して行使したものである。

(証拠の標目) 《省略》

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は道路交通法一一八条一項一号、六四条に、判示第二の所為中有印私文書偽造の点は刑法一五九条一項に、偽造有印私文書行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項にそれぞれ該当するところ、右の有印私文書偽造と偽造有印私文書行使との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により一罪として犯情の重い偽造有印私文書行使罪の刑で処断することとし、判示第一の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第二の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、押収してある交通事件原票一通の偽造部分は、判示偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成したもので何人の所有も許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藝保壽 裁判官 仲宗根一郎 栗田健一)

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